真・まうんてんの宿屋

アイリッシュフィドルを演奏しています。福岡近郊のパブに出現。なんか最近やきうネタ増えた。

「感情」が支配する議論の限界

ちょっとやなこと書きます。フィドルやアイリッシュ関連の記事を読みたい方はこの記事は飛ばしておじゃれ。


腰痛は少しずつ良くなってきてますがまだまだ療養が必要でおじゃ。
そんなわけで暇を潰すべくSNSネットサーフィン?的なことをしてるのですが、mixiなどに比べるとtwitterやFacebookでは政治経済に対する議論が活発に展開されているように思えます。
以前このブログで日本という国はそういう議論がしにくいということを述べ、もっと自由にそういう発言や議論ができればいいのにね、という趣旨のことを書いたことがあります。
そう考えると喜ばしいことなんですかね?

んなこたない。


なぜ喜ばしくないかというと、その発言のほとんどが感情論のみで構成されているからです。
相手が感情論のみで言葉をぶつけてくればこちらも感情論で対抗したくなるというのが人情というもの。
それは結局発言者本人に対する罵詈雑言やら人格否定やらまで行ってしまって建設的な意見とは程遠くなるのですね。

例えば野田前首相に対して「ノブタ」と呼んだり、現在の安部首相に対しては「下痢ピー」と呼んだり。
この時点で対象に対するヘイトが溢れ出ていてある意味微笑ましいのですが、ブログ主としてはこんなことをFacebookで書いちゃうような類の人間の言うことを信用しようとはビタ一文思いません。

何故か?

まず、Facebookやtwitterはある程度自分の存在を公にする場です。例えばこのブログは、ブログ主の知り合いにはああ、あいつがやってるスベリ気味のブログね、くらいな感じで知人でない人に特定されることはそんなにないと思います(やろうと思えば余裕で特定されると思いますが)。
それに対してSNSはある程度自分の情報をオープンにした状態で始めるわけです。なのでネットのイロハも知らない高校生が飲酒自慢して祭り上げられるなんてこともよく見る光景です。
そういう場で上記のような蔑称を平気で使うこと自体、「私はリスクマネジメントなんて全くできない人間でゴザルwww」と言っているに等しい。2chでやれ。

んでもって、彼らがやりたいのは「よりよいものを作る為の議論」ではなくて相手がウザい、憎たらしいから悪口書いてやりこめてやれという程度の低レベルなものでしかないこともその時点で露呈しているからです。その割には「自分は正しい」という思い込みに支配されており反論などは受け付けません状態です。

その「ノブタ」さんや「下痢ビー」さんを支持しているにしろしないにしろ、そういう蔑称を見たら気分悪い人もいるだろうにそういうことに考えが及ばない広い心もポイント高いですね。

更に言えばSNSというのは自分に似た感性の人間同士でつるむ傾向があるので、多少過激な意見を書いたところでそれに対する賛同のコメントが付くだけで異を唱える人間は排除される仕組みがあります。このプロセスを経て「俺は正しい」という勘違いはより純化されていくわけですね。ここらへんは以前も書いたけど。

そう考えていくと結局、SNSサイトはマジメな議論には向かない場所だという結論に至ります。我々がもっと冷静に議論ができるところまで進化すれば話は別ですが。
あーいうサイトはバーベキューやりましたーとか遊園地に来ましたーとか、そういうほのぼのした投稿を見て「ふーん」と思う場所であって、マジメな話がしたいなら他の場所でやるべきだなーと思います。「馴れ合いはイヤ!」という人もいますけど元々SNSなんて馴れ合いする為に作られた場所なのだから馴れ合いを楽しむべきだし、それがイヤならやらなければいいだけの話。
「俺はそーいうの向いとらんからやらん」という友人が数名ほどいますけど、「馴れ合いヤダヤダ」とじたばたする連中に比べなんと正々堂々としていることか。

いずれにしろ、ポリティカルな意見を書きこむならばenterキーをパシーンとするまえに一服して内容を確かめる心の余裕が欲しいものです。言いたいことをただ書き殴るだけならば彼らのお嫌いな独裁者と本質的に何ら変わらないのだから。
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