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真・まうんてんの宿屋

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カート・コバーンのインタビュー発掘

  • CATEGORYRock/Pops
  • PUBLISHED ON2013/ 11/ 07/ 02:44
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ニルヴァーナのカート、「自分でもゲイだと思ってた」と語る93年のインタヴューが発掘 - RO69

コバーン家がアイルランド系ということは知っていたけど、コークに由来があることは知らなかった。
アイルランドの流れを汲む人たちは数多くがミュージシャンとして成功したが、その中で考えうる限り最も悲劇的な最期を迎えた人物かもしれない。

93年1月のインタビューということは亡くなる1年ちょっと前。
この時点ではメジャー2ndの"In Utero"も発売されていない。
この後のロッキング・オンのインタビューを後年読んだのだが、このインタビューと同じように「今自分は幸せなんだ」ということを強調していた。

"In Utero"の録音は93年2月だが、「幸せな人間」があのような音楽を演奏できるのか?という疑問は喉にヒリ付く苦みのように脳裏にこびりついて離れない。
当時のロッキングオンのインタビュアーは虚ろな目をしてコートニー・ラブに引きずられていくカートを見て「満たされた人間には見えなかった」と語っている。

ロックとは衝動・攻撃性と内省的なものが矛盾を孕んだままその場に投げ出される表現形態だ。
それを整理していけばストーンズのように叩かれ、矛盾を孕んだままにしておけばその矛盾に引き裂かれる。
エアロスミスの歌が孕む性的な要素を嫌悪しつつも、それを自分の納得するところに落とし込むことができないカート。凡人たるブログ主ならばそこに何かの答え、言い訳を見つけて「これはこういうもんだ」ということにしてしまうだろうし、そうでなければジョン・レノンの"Imagine"のような矛盾を孕んだ歌は受け入れることができない。
この歌に歌以上の「政治性」を結び付ける愚か者は後を絶たないが、カートはそうすることすらできなかったのだろう。
彼がロックイコンに祭り上げられ、そしてバッシングされていく様は皮肉としか言いようがない。
そう考えると、絶対的なカリスマというのがあまり見受けられない昨今の音楽界はこれで健全なのかもしれないとすら思う。

上記でも書いたが、ブログ主は凡人だからそこに自分との折り合いを付ける。それを別に間違っているとは思わないし、死ぬよりマシだと思っている。ただ、カート自身がある意味エアロのような存在になってしまったことは物凄い不幸なことだったんだな、と思う。人は弱いから「イコン」に自分の理想を押し付けてしまう。そうならないようにしたいが、できるかどうかは分からない。


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