腰痛でなければ久々に映画館行きたい!と思わせてくれたこの映画。Queen、リバイバルヒットですねー。
お前ら何回リバイバルすれば気が済むねん
とツッコミを思わず入れたくなる何回目かのリバイバルヒットですが、ラジオなんかでもガンガンQueenが流れてますし、Twitterのタイムラインでも彼らの話題を目にすることが増えました。リバイバルの回数だけで言うとBeatlesより上でねぇか?
クイーンマニアというわけではありませんが、それでも90年代から聴いているブログ主がここでニワカ共にQueenの何たるかを教えてしんぜよう(超上から目線)。
まずはこちらから
「女王様」
爆風スランプのパッパラー河合がオール日本語でカバーした力作。映像はよう分からんので気にせんでおくれ。
無駄にクオリティが高くて当時行きつけのCD屋でこれがかかる度に一人で笑ってた記憶が
完全版はニコニコ動画にしかなかった↓
"Crazy little thing called love"がちゃんとプレスリー風のヴォーカルになってるのが○
千秋楽はねえだろ、千秋楽は。
日本語に直すと抱腹絶倒だが、何だかんだそれなりに忠実に訳しているのがポイントである。
大学卒業してそこそこ経った頃、とある先輩(女性)との会話にて。
先輩「最近Queen聴くようになったけど、めちゃめちゃいいね」
俺「でしょー」
先輩「昔は苦手やったっちゃん」
俺「なして?」
先輩「ヴィジュアルがさぁ…」
俺「Oh...」
さて、彼女が苦手だったというのは、フレディ・マーキュリーと言えば短髪、ヒゲ、ピチピチタイツというガチムチ三種の神器によるものが大きいと思われるわけですが、実は70年代のフレディはお耽美系ど真ん中だったりする(アルバム"QUEEN II"のジャケットが分かりやすいかな?)。
初来日時だと思うけど、ホテルの日本庭園で70年代長髪ロックスター然とした4人組がお茶会に出てる写真がシュールすぎて笑えるので興味ある方は探してほしい。
日本、というとQueenとは深いつながりがあって、それは単にフレディが日本文化に造詣が深いということのみならず、実は一番最初に彼らがヒットしたのはイギリスではなく日本だったりする。
70年代の日本というのは芸術面に於いてもそのように世界を先取りするところがあった、というのは注目すべきところでもあるだろう。同じようにビッグ・イン・ジャパンが極まって本国でもヒットした存在としてチープトリックなどがいる(が、聴いたことないっすすんません)。ブライアン・メイが日本のアーティストをプロデュースする機会が度々あったのはこういうところにもあると思われる。
フレディ・マーキュリーというとどうしてもその早すぎる死のことを書かざるを得ないが、彼が自分の死期を悟ってからの歌唱はまさに絶唱、という呼ぶべき類のものだ。"The Show Must Go On"などはいつ聴いても、何というか…。
が、この曲のPVはフレディの体調の為か主に昔のPVを編集して構成されており、しょっぱなから女装のフレディが登場し、重いギターソロではブライアンがギターからレーザーを発射するなど、どうにもリアクションに困る内容である。
この曲が収録されたアルバム「Innuendo」の表題曲はYesのスティーヴ・ハウが参加しており、そこも聴きどころだと思う。
フレディの死後、残されたトラックにオーヴァーダブして構成されたアルバム「Maid in Heaven」は、実は相当好きなアルバムだったりする。
「誰も僕を止めることはできない」 -死を目前にして、フレディはこう歌う。「美しい日だ」と。
このあまりにも透明な歌を歌うフレディの目には何が映っていたのだろうか。
伝説のLIVE AID。最強。
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