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真・まうんてんの宿屋

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マーラー雑感

  • CATEGORYClassical
  • PUBLISHED ON2011/ 01/ 21/ 02:54
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仕事で余り練習に行けず、個人練習もフィドルばっか練習してるのでなかなか時間が取れず、な状態ですが、それはさておいて1ヶ月後に迫ったマーラーについて。

なぜマーラー=難しいなのか。
単純にさらうのは結構大変。弾けんわこの××××!というところもあります。
が、単純に譜面のめんどくささでは上はいくらでもいそうな印象。
数年前に取り組んだラフマニノフの交響曲第2番とかまさに典型。あれは地獄絵図だった。
ヴィオラに関してならバルトークのオケコン並みの難易度があるとか言われた時は逆に救われた気分だった。んじゃしょうがねえ、みたいな。
アマチュアがやらない曲も含めるならばさらに上はありそうだし。

まあ、譜面が簡単なら仕上げも簡単ですよ(はぁと)なんてことが通用するならプロオーケストラなんていらんわけで(てのは言い過ぎか)。

マーラーの音楽の大きな特徴として、「全く異なる音楽が同一の時間軸の中で同時に進行する」という点が挙げられます。静かな音楽が流れてると思ったら突然オーボエがカーンとなって、でも他は相変わらず静か、みたいな。
芥川也寸志氏が「音楽の基礎」で述べていた日本庭園みたいなもんなんですね。ちょっと歩いたらいきなり光景が変わって、今までの光景とは不連続な美が現れる、と。

ところが、大きな(強い)音楽、というのは他に与える影響も大きく、その結果釣られてはいけない楽器まで大きくなってしまうという現象が起こっているように思えます。
まあ、それはアンサンブルの基本である「周りの音を聞く」ということがしっかりできている証明にもなるわけで、悪いこっちゃないんです。

ただ、マーラーの音楽美という観点から見るとちょっとアレなわけで。

んで、釣られた結果それが思いのほか不自然な音楽になってしまい、その戸惑いを払拭できないまま続けてしまうが故にフラフラした合奏になってしまう。という現象が起こっているのではないか、と最近ようやく練習に参加した身としては思うわけです。

噛み砕いて言うと、大体古典派~ロマン派の音楽ってのは曲が始まって~発展して~クライマックスで~終わって~という流れに連続性があります。基本的には。あえてその連続性を外す例もありますが、それは聴き手にインパクトを与えるための逆手であり、連続性があるという大前提があってこその技なわけです。
対してマーラーの音楽というのは突然に表情を変えます。脈絡がないと言われても仕方ないほどに。「巨人」初演時のマーラーのカリカチュアが残ってますが、混乱を持って初演が迎えられたのは間違いありません。挙句の果てに全く異質の音楽が同時進行することさえザラにあるのですから、古典~ロマン派が主要レパートリーのアマチュア・オーケストラにとってはかなりの難物だと思います(これに比べればストラヴィンスキーの火の鳥などの方がよほど分かりやすい音楽なのではないかと)。

自分が弾いてる音が正しいのか自信が持てない、というのはプレーヤーにとってかなりのプレッシャーになりますが、上記の特徴を頭に入れたうえで演奏しなければいつまで経っても自信を持って演奏に臨めないのではないかと思います。乱暴なこと言えば弾けないなら誤魔化しちまえって話だし。

いずれにしろ20世紀の扉を開いた、とさえ言われるマーラー。後の東洋への傾倒は迫りくる西洋クラシック音楽の袋小路を予感していたのかもしれません。いや、東洋的な美の概念を初めて西洋音楽に持ち込んだと言えるのかもしれない。






と、偉そうなことを書いた割には相変わらず弾けんのだがな!
ボスケテ。
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