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真・まうんてんの宿屋

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アイリッシュの和声や旋法についてのハナシ

これを書いてる時点では当方あまり民族旋法に詳しくありません。
現在の疑問点などをつらつらと並べ立てていこう、くらいの感じです。

まず、アイリッシュの曲の多くがミクソリディアン旋法である、ということ。


…。芥川也寸志氏の「音楽の基礎」で出てきたな。読んだの10年以上前だけど。

ちょっと地域が違いますが、スコットランドのバグパイプの音階を示します。

C D E F G A B-flat

このように長音階と比較して第7音が半音下がる状態がミクソリディアン旋法です。
教会旋法にも近いですね。古楽や教会音楽とアイリッシュになんとなく近親性を感じるのはモードに関連性がある為と思われます。

次にThe Keshのコード進行を記します。めんどいので楽譜はなし。気が向いたら作ります。

in D
G | D | Em G | Em G

G | D | Em G | D G (Repeat)


Em G | C D | Em G | D

Em G | C G | Em D | G

こうなります。
前半部分、トニックであるGからサブドミナントのDに進みます。その後にEmに進むことによってふと影が差す感じがします。
また、サブドミナントであるCが後半まで現れないのも楽典をえっちらおっちら読んだ身としては奇異に感じます。最終的にはD→Gという典型的な終止になっているので終止感はなくもないですが。

この曲については基本的に第4音のCと第7音のF#が出てこない、典型的なヨナ抜きペンタトニック・スケールです。従ってF#→Cという進行やC→Bといった導音が出てこない為、終止感という意味では足りない部分があります。
ただ、アイリッシュのダンス音楽というのは何回でも繰り返し演奏されるものなのでそういう意味では導音のない旋律は都合がよいのかもしれません。

いわゆるクラシック音楽は終止、その後の静寂に向かって進む芸術形態という側面があります。それは「アルファでありオメガである」というキリスト教的世界観と何らかの関連があるようにも思えます(とはいえ拡大解釈か?)。アルファたるトニックはオメガでもあるわけですね。
ジョン・ケージはその終結に向かって進む、という音楽の形態に一石を投じたくて「4分33秒」というネタ一歩手前の曲を発表したんじゃないか?という気もするわけですが。

ちょっと話がそれましたが、終結に向かうこと。それを強調する為に導音というものがあります。そういう意味では非常に人工的な音です。教会音楽から発展し、その文化が厳然としてバックボーンに存在するクラシックだからこそ導音というものが産まれたのではないか?という気がします。そう書いてあった本も読んだ気がしますがブログ主の頭の中では記憶がどうにも薄いw

長調ならばともかく、短調の和声短音階なんかは導音を作りたい為に非常にアレな進行になっています。アレ過ぎる為にさらにもう一味手を加えたのが旋律短音階ですが、これはこれでマイナー・スケールとしてはなんか不自然です。その不自然さを押してでも導音を導入するほど、ある意味では導音に支配された音楽づくりを行っていたわけです。

いや、別に導音が嫌いなわけじゃないですよ、念のため。

それに対して世俗的音楽であるアイリッシュにはあまり導音で終結するという進行は見られません。IV、VIIの音が旋律の要素として出てくる曲ももちろんありますが、それらの音が導音としての役割を果たしているかというと、別に果たしてないです。

ポップスなどでも終結は明確にありますが、これは商品としての分かりやすさを考えての結果の様な気がする。こっからここまで!と決めてその中で色々やる方が分かりやすいし、仕掛けも入れやすいだろうし。

ここら辺の「ひたすら弾き続ける」か「計画的に終了する」かの違いというのもそれぞれの音楽の美観を対照しているようで面白いですね。


こんな適当な理屈並べ立てるくらいなら練習すればいいのに、と自分でも思いました。では。
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